「今月の営業MVPは、またAさんか。本当によくやってくれる…」
営業会議の最後、あなたはチームのエース(一番の売れっ子)を称賛しながらも、心のどこかで、冷や汗に近い不安を感じていませんか?
- 「Aさん一人で、チーム全体の売上の4割を稼ぎ出している」
- 「新しく入ったメンバーは、一向にAさんのレベルに近づかない」
- 「複雑なクレームや、難しいお客さんへの対応は、結局いつもAさんに頼ってしまう」
そして、その不安は最悪の形で頭をよぎります。
「もし、今Aさんが辞めたら、ウチのチームは…いや、会社は本当に終わるかもしれない」
これは、多くの営業マネージャーや経営者が抱える、非常に根深く、深刻な悩みです。
そして悲しいことに、この予感はしばしば現実のものとなります。ある日突然、エースのAさんはあなたの元へやってきて、静かに、しかし固い決意の表情でこう告げるのです。「一身上の都合で、退職させていただきたく思います」と。
あなたは「なぜだ?」「あれだけ評価し、給与も優遇してきたのに」「裏切られた」と感じるかもしれません。
しかし、断言します。
それは「裏切り」などではありません。
それは、エース個人の才能に頼り切り、チームとしての「仕組み」作りを怠ってきた、マネジメントの構造的な欠陥が引き起こした、必然の結果なのです。
「できる人」に仕事が集中し、その人だけが疲弊していく。一方で、他のメンバーは「どうせ自分なんて…」と疎外感を深めていく。この両極端な「精神的負担」こそが、あなたのチームを内側から静かに蝕む病の正体です。私たちは、この病を「属人化(ぞくじんか)」と呼びます。
この記事は、そんな「エース依存」の悪循環から本気で抜け出したいと願う、すべてのリーダーのために書きました。
この記事では、なぜ「できる人」から先に辞めていくのか、その構造的な理由を徹底的に解明します。そして、属人化がもたらす精神的負担と経営リスクを可視化した上で、解決策となる「リソース戦略」について、具体的に解説します。
リソースとは「資源」のこと。この場合の資源とは、エースという「人」だけではありません。チームが持つ「知識」「時間」「ツール(道具)」すべてです。これらをチーム全員の共有財産に変え、エース一人に頼らずとも「チームとして勝てる仕組み」を作り上げる。
この記事を読み終える頃には、あなたは「エースの退職に怯える日々」から解放され、チーム全員がやりがいを感じ、持続的に成長できる、強い営業組織作りの第一歩を踏み出せるはずです。
第1章:なぜ「できる人」は静かに辞表を出すのか?属人化がもたらす地獄
多くのマネージャーは、「できる人(エース)は、仕事がうまくいっているから満足しているはずだ」と思い込んでいます。これが、最初の大きな勘違いです。
エースは、華々しい成果の裏で、他のメンバーには見えない「重圧」と「孤独」に押しつぶされそうになっています。一方で、エース以外のメンバーもまた、「疎外感」という別の形の苦しみを抱えています。
この章では、属人化という構造が、チームの全員を不幸にしていくメカニズムを解き明かします。
1-1. エースを蝕む「3つの重圧」
まず、チームで最も輝いて見える「エース」の心の内側から見ていきましょう。彼ら、彼女らが日々感じているのは、達成感だけではありません。むしろ、その何倍もの「重圧」です。
① 成果の重圧:「常に一番でなければ」というプレッシャー
エースは、エースであり続けることを期待されます。会社も、上司も、そして同僚さえも、「Aさんなら今月もやってくれるだろう」と無言の期待を寄せます。
一度や二度、目標を達成できても、その期待は終わりません。むしろ、次のハードルはさらに高くなります。「自分がこのチームの売上を支えなければならない」「もし自分がコケたら、チーム全員が道連れだ」という過剰な責任感が、エースの双肩に重くのしかかります。
このプレッシャーは、やがて「営業を楽しむ」という感覚を奪い、「営業目標(ノルマ)に追われる」という苦痛へと変わっていきます。
② 業務の重圧:「結局、全部自分がやるしかない」という集中
「できる人」には、面倒な仕事が集中します。これは組織の悲しい性(さが)です。
- 誰もが嫌がる、利益は薄いが手のかかるお客さん。
- 技術的に複雑で、高度な知識が求められる大型案件。
- 他メンバーが起こしたトラブルの火消しや、大きなクレーム対応。
- 自分の営業活動に加えて、新人の教育係(OJT)。
マネージャーであるあなたも、「これはAさんにしか頼めない」と、つい難しい仕事をエースに振ってしまっていませんか?
エースは、自分の仕事がパンク状態であっても、「できません」とは言えません。なぜなら、自分が断ればチームが回らないことを知っているからです。結果、彼らの労働時間は際限なく延びていき、心身ともにすり減っていきます。
③ 孤立の重圧:「誰も分かってくれない」という孤独
チーム内でエースのスキルや知識が突出してしまうと、彼らは「孤立」します。
自分の抱える案件の難しさや、高度な交渉の駆け引きについて、チームの誰も理解してくれません。相談しようにも、他のメンバーは「レベルが違いすぎて、何を言っているのか分からない」という顔をします。
マネージャーであるあなたも、現場の最前線の細かい感覚までは分かりません。
「チームのために頑張っているのに、この苦しさを誰も分かってくれない」
「自分だけが、違う次元で戦っている」
この孤独感こそが、エースの心を折る最後の引き金になります。「こんな会社、もういいや」と。
1-2. 「その他」のメンバーを蝕む「3つの疎外感」
属人化の問題は、エースだけの問題ではありません。むしろ、チームの大多数を占める「エース以外」のメンバーに対する悪影響の方が、組織全体にとっては深刻かもしれません。
① 諦めの疎外感:「どうせ、あの人には敵わない」
チーム内に圧倒的なエースがいると、他のメンバーは「あの人は天才だから」「自分とはデキが違う」と、早々にあきらめてしまいます。
本当は、エースも地道な努力を重ねて今の地位を築いたのかもしれないのに、その過程は見えません。見えるのは「圧倒的な結果」だけです。
「自分も頑張ってAさんのようになろう!」という健全な競争心は生まれず、「どうせ自分はAさんにはなれない。そこそこやっていればいいや」という学習性無力感(何をしても無駄だと学習してしまう状態)が蔓延します。
② 貢献の疎外感:「自分は、チームの役に立っているのか?」
エースが売上の多くを稼ぎ、難しい仕事をすべて片付けてくれるチームでは、他のメンバーは「自分はこのチームに貢献できている」という実感(自己効力感)を得られません。
簡単な仕事、誰でもできる仕事ばかりを割り当てられ、「自分はいてもいなくても、チームは回るのではないか」という無力感に苛まれます。
人間は、お金のためだけに働いているのではありません。「誰かの役に立っている」「自分が必要とされている」という実感こそが、仕事のやりがいを生むのです。属人化は、そのやりがいを根こそぎ奪い去ります。
③ 成長の疎外感:「誰も、自分を育ててくれない」
最も深刻なのが、成長機会の損失です。
マネージャーは、ついエースの営業活動ばかりに目が行きがちです。また、難しい案件は「失敗できないから」と、教育も兼ねて他のメンバーに任せる勇気が持てず、結局エースに任せてしまいます。
結果、他のメンバーは、いつまで経っても簡単な仕事しか経験できず、スキルが向上しません。
「背中を見て学べ」と言われても、エースのやっていることは高度すぎて参考にならない。具体的な教育や、挑戦の機会を与えられないメンバーは、「この会社にいても成長できない」と感じ、静かに辞めていきます。
1-3. マネージャーの「依存」という名の怠慢
ここまで読んで、あなたも胸が痛むかもしれません。
エースは「重圧」に苦しみ、他のメンバーは「疎外感」に苦しんでいる。なぜ、こんな不幸な構造が生まれてしまうのでしょうか?
厳しい言い方になりますが、その原因は、マネージャーであるあなたの「エースへの依存」にあるからです。
- 短期的な売上目標を達成するためには、エースに頼るのが一番手っ取り早い。
- 他のメンバーを一から育てるのは、時間がかかり、面倒くさい。
- エースのやり方を細かく聞き出し、他のメンバーでもできるように「標準化」するのは、もっと面倒くさい。
あなたは、「Aさんのやり方は特別だから」「彼は天才肌だから」という言葉で、仕組み化する努力を放棄していませんか?
それは、マネージャーの仕事を放棄しているのと同じです。
属人化は、「個人の才能」の問題ではありません。
それは、特定の個人の才能に依存しなくてもチームが回るような「仕組み」と「教育」を設計しなかった、マネジメントの失敗なのです。
この構造的な欠陥を放置したままでは、チームはいつか必ず破綻します。
第2章:その属人化、コストはいくら?見えざる「4つの時限爆弾」

属人化は、チームメンバーの精神を蝕むだけではありません。経営の観点から見ても、放置すれば必ず爆発する「時限爆弾」を、あなたの会社にいくつも仕掛けているのと同じです。
「まあ、今はエースが稼いでくれているから大丈夫」
もし、あなたがそう思っているなら、その認識は根本的に間違っています。ここでは、属人化がもたらす、恐ろしい「経営コスト」と「リスク」を4つの側面から可視化します。
2-1. [リスク1] 売上のブラックボックス化
属人化が進んだチームでは、「なぜ売れているのか」が誰にも分かりません。
マネージャーであるあなたがエースのAさんに「今月はどうしてそんなに売れたんだ?」と聞いても、「いや、まあ、感覚ですかね」「お客さんとの信頼関係ですよ」といった、曖昧な答えしか返ってこないでしょう。
Aさんの頭の中には、確かに「この業界のお客さんには、この切り口で話す」「このタイミングで、この資料を見せる」「この反論には、こう切り返す」といった、数々の「勝ちパターン」が存在します。
しかし、それが言語化も共有もされていないため、他のメンバーは誰もそれを真似できません。
これは、会社の売上が「Aさん個人の感覚」という、極めて不安定な土台の上に成り立っていることを意味します。Aさんの調子が悪ければ売上は落ち、Aさんが休めば売上は止まる。これでは、来月の売上予測さえ、正確に立てることはできません。売上が「ブラックボックス(黒い箱)」に入ったまま、誰も中身を理解できない状態。これほど恐ろしい経営はありません。
2-2. [リスク2] 顧客資産の私物化
会社にとって、顧客リストや顧客との関係性は、お金を生み出す最も重要な「資産」のはずです。
しかし、属人化が進むと、この資産が「会社のもの」ではなく、「エース個人のもの」になってしまいます。
お客さんは、「〇〇(会社名)の商品だから」買っているのではありません。「Aさんが勧めてくれるから」「Aさんだから信頼できる」という理由で契約しているのです。
この状態は、一見すると素晴らしい関係のように見えますが、経営上のリスクは最大級です。
もし、エースのAさんが退職したらどうなるでしょうか?
お客さんは「Aさんがいないなら、もうこの会社と取引する理由はない」と、簡単に離れていってしまいます。
そして、最悪のケースは、Aさんがあなたの会社のライバル企業に転職することです。Aさんは、自分を信頼してくれる大切なお客さんを、ごっそりと引き連れていくでしょう。あなたは、売上の柱と、最も大切な顧客資産の両方を、一夜にして失うことになるのです。
2-3. [リスク3] 採用・教育コストの無限ループ
エースが辞めて売上が激減すると、会社は慌てます。そして、「Aさんの穴を埋めなければ」と、高額な費用をかけて即戦力の中途採用を行います。
しかし、ここで悪夢のループが始まります。
- 新しいメンバー(Bさん)が入社する。
- しかし、社内には標準化された「営業の手順書」も「教育の仕組み」もない。(なぜなら、今まではエースのAさんが感覚でやっていたから)
- マネージャーは「Aさんの背中を見て学べ」と同じことを言うが、Bさんは「見て学ぶ」だけでは育たない。
- 結局、Bさんは期待された成果を出せず、早期に退職してしまうか、万年2番手のまま停滞する。
- 会社は「Bさんは期待外れだった。やはりAさんのような天才を採用しなければ」と、再び採用活動に多額のコストを費やす…。
これが、属人化が引き起こす「採用・教育コストの無限ループ」です。教育の仕組みがないまま人を採用し続けるのは、穴の空いたバケツで水を運び続けるようなもの。いくらお金と時間をかけても、永遠に資産は溜まりません。
2-4. [リスク4] チーム全体のモラル崩壊
最後に、目に見えないながらも最も深刻なコストが、チーム全体の「モラル(士気)」の崩壊です。
第1章で述べたように、エース以外のメンバーは「諦め」や「疎外感」を感じています。
「エースばかりが優遇され、難しい案件も、インセンティブ(報奨金)も独り占めしている」
「自分たちが地道にサポート業務をやっても、誰も評価してくれない」
こうした不公平感は、静かに、しかし確実にチーム内に蔓延します。一体感は失われ、メンバー同士が協力する文化は消え失せます。「どうせ頑張っても報われない」という空気が支配するようになると、チームの生産性は最低レベルまで落ち込みます。
エース一人の活躍で保たれていた売上も、チーム全体の士気が低下すれば、いずれ限界が来ます。そして、その時にはもう、手遅れなのです。
第3章:「リソース戦略」とは何か? “個の力”を”組織の資産”に変える仕組み
第2章までで、属人化がいかに恐ろしい病であるか、ご理解いただけたと思います。エースも、他のメンバーも、そして会社経営そのものも不幸にする、まさに「時限爆弾」です。
では、どうすればこの病を治療できるのでしょうか。
根性論や精神論では解決しません。「もっと他のメンバーも頑張れ!」と叱咤激励しても、何も変わりません。
必要なのは、「仕組み」による解決です。
それが、この記事の核となる「リソース戦略」です。
難しく考える必要はありません。「リソース」とは「資源」のこと。あなたのチームが持っている資源を、エース一人に集中させるのではなく、チーム全員で上手に分け合い、活用する「仕組み」を作りましょう、という考え方です。
3-1. 属人化の対極にある「仕組み化(標準化)」
属人化の正反対の言葉は、「仕組み化」あるいは「標準化」です。
これは、「誰がやっても、ある一定の品質(例えば80点)の成果が出せる状態」を作ることを目指します。
多くのマネージャーは、これを「営業の個性を殺す、マニュアル通りのつまらない仕事」だと誤解していますが、それは違います。
「仕組み化」とは、営業活動における「型」を作ることです。
剣道や柔道に「型」があるように、営業にも「勝ちパターン」の型が存在します。エースが経験と感覚で身につけたその「型」を、チーム全員が学べる「共通言語」にするのです。
この「型」があることで、エース以外の普通のメンバーも、安心して「型」に沿って行動でき、80点の結果を出せるようになります。これが、チーム全体の売上の底上げ(ボトムアップ)に繋がります。
そして、この「仕組み化」において、エースの役割も変わります。
エースの役割は、「自分だけが120点を出し続けること」ではありません。これからは、「チーム全員が80点を出すための仕組み(型)を作ること」に変わるのです。これについては、第4章で詳しく解説します。
3-2. 営業リソースを再定義する
「リソース戦略」を実行するために、まずはあなたのチームが持つ「資源(リソース)」を正しく認識し直す必要があります。
多くのマネージャーは、チームの資源=「営業担当者の数」や「エース個人の能力」だと思っています。しかし、それだけではありません。営業チームの資源は、大きく3つに分類できます。
- 知識リソース(一番重要)成功事例、トークスクリプト、提案書、反論処理、専門知識など。
→ これらが「属人化」している(=エースの頭の中にしかない)ことが最大の問題。
- 時間リソース営業担当者全員の労働時間。
→ この資源配分が偏っている(=エースに業務が集中)ことが精神的負担の原因。
- ツールリソース(道具)CRM、SFA、顧客リスト、カタログなど。
→ これらが共有できていない(=個人のPCにしかない)ことが非効率の原因。
リソース戦略とは、これらの「知識」「時間」「ツール」という3つの資源を、「個人の所有物」から「チームの共有財産」に変え、全員で最も効率よく活用するための作戦、そのものなのです。
3-3. マネージャーの真の役割:「資源配分の最適化」
このリソース戦略において、マネージャーであるあなたの役割も明確になります。
あなたの仕事は、エースに「今月も頼むぞ!」とプレッシャーをかけることではありません。
また、エースに仕事を丸投げする「配車係」のような役割でもありません。
マネージャーの真の役割は、「チームが持つすべての資源(知識・時間・ツール)を把握し、その配分を最適化して、チーム全体の成果を最大化する設計者」になることです。
エースの「知識」をどうやってチームの資産に変えるか?
エースの「時間」を、もっと価値の高い仕事に集中させるために、どう分業するか?
「ツール」を使って、どうすればチーム全員が同じ情報を見て動けるようになるか?
これらを考え、実行することが、これからの時代のマネージャーに求められる、本当の仕事なのです。
第4章:属人化を解消し、精神的負担をゼロにする「5つのリソース戦略」

ここからが、この記事で最も重要な「実践編」です。
理屈は分かった。では、具体的に明日から何をすれば、属人化を解消し、チームの資源を最大化できるのでしょうか。
長年の現場経験から、最も効果が高かった「5つの具体的な戦略」を、手順を追って詳細に解説します。
4-1. [戦略1] 「エースの脳内」を可視化する(知識リソースの共有化)
属人化解消の第一歩は、エースの頭の中にしかない「暗黙知(言葉にされていないコツや感覚)」を、誰もが見て学べる「形式知(マニュアルや手順書)」に変えることです。
しかし、ここで絶対にやってはいけないのが、エースに「君のノウハウをマニュアルにまとめておいて」と丸投げすることです。エースはただでさえ忙しい上に、自分自身の「感覚」を言語化するのは非常に困難です。本人の負担が増えるだけで、何も出てきません。
マネージャーであるあなたが主導し、以下の方法で「脳内」を引き出すのです。
①「同行」と「録音」を徹底する
まずは、エースの商談に「勉強のため」と言って同行させてもらいましょう。そして、必ず許可を得た上で、商談をICレコーダーやスマートフォンで録音・録画します。これが、最も生々しく、貴重な一次情報(知識リソース)となります。
② マネージャーが「勝ちパターン」を抜き出す
録音した音声データを、今度はあなたが聞き返します。そして、「なぜ、このお客さんは契約を決めたのか?」という視点で、エースの優れた点を客観的に抜き出します。
(例)「『高い』と言われた時、こうやって価値を伝えて切り返したのか」など、エース自身は無意識でやっている「スゴ技」を、あなたが発見し、言語化するのです。
③ 「セールス・プレイブック」を作成する
抜き出した「勝ちパターン」を、営業の流れに沿ってまとめたもの。これが、チームの財産となる「セールス・プレイブック(営業の攻略本)」です。難しく作る必要はありません。
(例)「アプローチ編:電話の第一声」「反論処理編:『高い』と言われた時の切り返しトーク集」など。
これをチーム全員で共有し、まずはこの「型」通りにやってみる。これが、チーム全体の営業レベルを引き上げる最短距離です。
4-2. [戦略2] 営業プロセスを分解し「分業」する(人的リソースの最適配置)
あなたのチームのエースは、「新規の電話がけ」から「商談」、「見積書作成」、「契約後のフォロー」、ひどい時には「請求書の発行」まで、すべて一人でやっていませんか?
これは、プロ野球チームの4番打者に、球場のチケット販売やグラウンド整備までやらせているようなもので、資源(リソース)の壮大な無駄遣いです。
エースの貴重な「時間リソース」は、チームで最も価値の高い仕事、すなわち「大型商談のクロージング(契約を決めること)」や「複雑な課題の解決提案」に集中させるべきです。
そのために、営業の仕事の流れ(プロセス)を細かく「分解」し、「分業」します。
- 見込み客リストの作成(ネットやリスト業者から探す)
- アプローチ(電話やメールで、最初の接点を持つ)
- ヒアリングと提案(お客さんの悩みを聞き、解決策を話す)
- クロージングと契約(契約を決める)
- 契約後のサポート(納品や、使い方の説明など)
この中で、例えば「1. リスト作成」や「2. アプローチ」の初期段階は、新人のメンバーや、パート・アルバイトのスタッフでもできるかもしれません。
「5. 契約後のサポート」は、営業事務やカスタマーサポートの専門チームが担う方が効率的かもしれません。
このように分業することで、エースは最も得意な「3」と「4」に全精力を注ぐことができます。
そして、他のメンバーも、「自分はアプローチの専門家だ」「自分はサポートのプロだ」という形で、自分の得意分野でチームに貢献できるようになり、疎外感が消えていきます。
4-3. [戦略3] 「情報格差」をなくすツールの導入(ツールリソースの活用)
属人化の温床となるのが「情報格差」です。
「あのお客さん、昔どんな取引してたんだっけ?」
「Aさんが担当してるあの案件、今どうなってる?」
こうした会話が飛び交っているチームは、情報がエース個人の頭の中や、手帳、パソコンの中にしか存在しません。
これを解決するのが、CRM(顧客関係管理)やSFA(営業支援)と呼ばれるITツールです。
難しく聞こえますが、要は「お客さんの情報(過去の取引、商談の履歴、担当者の趣味など)」を、すべて一か所に集約し、チーム全員で共有するための「デジタル台帳」です。
これを徹底する目的は、ただ一つ。
「Aさんに聞かないと分からない」という状態をゼロにすることです。
- Aさんが急に休んでも、他のメンバーがそのお客さんの情報を見れば、すぐに対応を引き継げる。
- マネージャーは、Aさんにいちいち進捗を聞かなくても、ツールを見れば案件の状況がリアルタイムで把握できる。
- 新しく入ったメンバーも、過去の成功事例を見て学ぶことができる。
高価なツールでなくても構いません。まずは無料のものや、安価なものからでも良いのです。「ツールリソース」を活用し、「あの件どうなってる?」という無駄な確認時間をなくし、情報をチームの共有財産にすることが重要です。
4-4. [戦略4] 「個人戦」から「チーム戦」へ評価制度を変える
もし、あなたの会社の評価制度が「個人の売上数字」だけで決まっているなら、いくら「チームで協力しろ」と号令をかけても無駄です。なぜなら、エースにとっては、自分のノウハウ(知識リソース)を他人に教えるメリットが何一つないからです。むしろ、ライバルを増やすだけで損だと考えるでしょう。
属人化を本気で解消したいなら、人の「意識」ではなく「ルール(評価制度)」を変えなければなりません。
個人の売上目標を追う「個人戦」から、「チームとしての目標達成」を目指す「チーム戦」へと、評価の仕組みを切り替えるのです。
例えば、個人の評価項目に、以下のような「チーム貢献」の軸を加えます。
- チーム目標の達成率: チーム全体の売上目標を達成したら、全員にボーナスが出る。
- プレイブックへの貢献度: エースが自分の「勝ちパターン」を言語化し、プレイブック(攻略本)の作成に貢献したら、それを評価する。
- 新人教育への貢献: エースが指導した新人が、早期に目標を達成できたら、指導したエースも評価される(メンター制度)。
このように、「自分のノウハウを共有した方が、チームが勝ち、結果的に自分も得をする」というルールを作ること。これが、エースが自ら進んで「知識リソース」を差し出す、強力な動機付けとなります。
4-5. [戦略5] 「エースの次のキャリア」を設計する
最後に、これが「できる人」を辞めさせないための、最も重要な戦略かもしれません。
優秀なエースが会社を辞める最大の理由の一つは、「この会社にいても、これ以上の成長がない」と感じるからです。
「最強のプレイヤー」として売上トップを取り続けても、その先に見えるのが「今のマネージャーと同じ仕事」だけだとしたら、魅力的に映らないかもしれません。
だからこそ、マネージャーは、エースの「その次」のキャリア(将来の道筋)を一緒に考え、設計してあげる必要があります。
- 「仕組みを作るマネージャー」への道: 「君のそのノウハウを、チーム全員ができる仕組み(プレイブック)にしてみないか?それが君の次のミッションだ」と、プレイヤーからマネジメントへの視点を引き上げる。
- 「後進を育てるメンター」への道: 「君が育てた新人が、君と同じくらい売れるようになったら、それはすごいことだ」と、教育者としての役割を与える。
- 「新市場を開拓する専門家」への道: 「その営業力で、次は新しい業界や、新しい商品の立ち上げを任せたい」と、最前線の専門家として、さらに高みを目指す道を示す。
エースは、自分が「便利な道具」として使い潰されることを最も嫌います。自分の能力を正当に評価し、さらに成長できる「新しい挑戦の場」を用意すること。これが、エースの精神的な負担を「やりがい」へと転換させ、会社への忠誠心を高める鍵となるのです。
第5章:リソース戦略が実現した未来 ― 「全員が主役」の営業チーム
これら5つのリソース戦略を実行に移すのは、簡単ではありません。時間もかかりますし、一時的にチームが混乱することもあるでしょう。
しかし、この変革を乗り越えた先には、エースも、他のメンバーも、そしてマネージャーであるあなたも、今とは比べ物にならないほど精神的に健全で、強いチームが待っています。
最後に、その理想のチームの姿を具体的に描いてみましょう。
5-1. エースの精神的変化
戦略実行後のエースAさんは、もはや「全部自分でやらなければ」という重圧と孤独からは解放されています。
自分の「時間リソース」は、本当に重要な大型案件に集中できています。
そして何より、自分の作り上げた「プレイブック(攻略本)」を使って、昨日まで売れなかった後輩のBさんが、初めて大きな契約を取ってくる姿を見て、こう感じます。
「自分が一人で1億円売るより、自分のノウハウで10人が5,000万円ずつ売るチームを作れた方が、よっぽどすごい仕事だ」
プレッシャーから解放され、自分の「知識リソース」がチームの資産となり、仲間を勝たせられたことに、彼はプレイヤー時代とは質の異なる、高次の喜びとやりがいを見出しています。
5-2. メンバーの精神的変化
エース以外のメンバーBさんたちは、もう「どうせ自分なんて」という疎外感を抱いていません。
明確な「型(プレイブック)」があるため、「何をしたらいいか分からない」という不安がなく、安心して営業活動に挑戦できます。
分業によって「自分はアプローチの専門家だ」という誇りを持ち、自分の仕事がチームの成果に直結していることを実感(貢献実感)できています。
エースからもらった具体的なアドバイス(知識リソース)を元に行動し、成功体験を積むことで、「自分もやればできるんだ」という自信と成長実感を日々感じています。
5-3. マネージャーの精神的変化
そして、マネージャーであるあなた。
あなたはもう、毎朝「今日はエースのAさんが機嫌よく出社してくるだろうか」とビクビクする必要はありません。
CRM(顧客台帳)を見れば、チーム全員の活動と案件の進捗が手に取るように分かります。Aさんが辞めても売上がゼロになることはないと確信できています。なぜなら、売上の土台はAさん個人ではなく、チーム全員で共有する「プレイブック」と「仕組み」によって支えられているからです。
あなたは、個人の数字に一喜憂する「監視者」ではなく、チームの資源をどう配分すればもっと強くなるかを考える「設計者」として、マネージャー本来の創造的で、やりがいのある仕事を楽しんでいます。
結論:「できる人」が辞めないチームとは、”たった一人の天才”に依存しないチームである
「できる人」から辞めていくチームの共通点は、あまりにも残酷なほどシンプルです。それは、「できる人」の善意と責任感に、組織が甘え、依存しているという点に尽きます。
属人化は、短期的に見ればエースの活躍という「蜜」をもたらしますが、長期的には必ず組織を破綻させる「負の遺産」です。
今回提案した「リソース戦略」とは、決してエースを軽視することではありません。むしろ逆です。
エースが長年かけて培ってきた、その貴重な「知恵」と「経験」という才能を、その人一代限りの使い捨てにせず、チーム全員が使える「永遠の資産」へと変える、最大限の敬意を払った仕組み作りのことです。
「できる人」が本当に輝き、このチームで働き続けたいと心から願うのは、自分が孤独なヒーローとして疲弊している時ではありません。
自分の知見(知識リソース)がチームを強くし、仲間を成長させ、チーム全員で勝利できるようになった時。
その時、エースは「プレッシャー」から解放され、真の「リーダー」としてのやりがいを見出すのです。
あなたが明日からできることは、たくさんあります。
しかし、まずはたった一つ、勇気を持って始めてみてください。
エースの商談に同行し、その声を「録音」することから。
それが、あなたのチームを「一人の天才」に依存する脆い組織から、「全員が主役」の最強のチームへと変える、偉大な第一歩になるはずです。

